冬のスチーマー

 

―地元に帰りたいなあ。
冬のホームで朝ごはんがわりの肉まんを食べながらそう思う。いつもならギリギリで駆け込んで職場で食べるところだが、今日は電車が少し遅れているようだ。どうせどこかで安全点検をしたか、どこかの路線の人身事故の影響だろう。月曜日の東京なんて、ふわりとホームの下に攫われてしまうほど人だらけだし。
電車が前の駅に到着したと駅員のアナウンスが聞こえる。早く食べないと。冬の朝はすぐに肉まんを冷たくしてしまう。味の薄い肉まんを口に押し込んで、電車に乗った。

 

「おはよう」
職場のデスクに座ると隣から声をかけられた。
「おう井之上、2日ぶり」
軽く返してパソコンを立ち上げる。
「ねえねえ聞いて、昨日実家から仕送りして貰ったんだ。ほら!お醤油も!分けてあげようか?」
「いやいい、私は醤油甘い派じゃないんで。それよりお茶の葉入ってなかったの?」
えーとかなんでとか騒ぐ井之上を横目にメールチェックを始める。井之上と私は同期ではないが、同郷で2人とも就職を機に東京に出てきたのでそこそこ話があって仲良くしている。時々実家からの仕送りが来るとお互い分け合ったりもするのだが、醤油だけは分け合えない。井之上が地元の甘い醤油を好むのに対し、私は普通のからい醤油が好きだからだ。からい醤油を受け付けない井之上は絶対甘い方がおいしいのに!といつも私につっかかってくる。私の好みなんだからほっといてくれ。
「ねえ今日の夜飲みに行こうよ」
「月曜から元気だよな…まあいいけど」
「仕送りの中にお金も入っててさー、ひひ。早く仕事終わらせてよね」
幸い月の中頃の今は特段忙しくもない。後で井之上がうるさくならないよう、私は仕事に取り掛かった。

 

「2名様ご案内でーす」
早い時間だからかまだそんなに混んでいない居酒屋に入ると、早速メニューを開く。
「何にしようかな、寒いからお湯割りかな」
「頼むから飲みすぎるなよ、介抱はしたくない」
「こう見えて強いの知ってるくせにー、遺伝子には逆らえないよ」
うきうきしながらお酒を吟味する井之上を尻目に、ソフドリ派の私は早々に1杯目を決める。暇なのでメニュー表を眺めていると、焼酎の欄に並ぶ私の地元の名前が目に入る。もう東京に出て何年も経つのに、無意識に目線がいってしまうのは一生治らないのだろうか。
「決まった!定員さん呼ぶよ、えっとこれのお湯割りと、何にする?」
「あー…グァバジュースで」
「なにそれ?!変なもの頼むねえ」
お酒好きな井之上は終始ハイテンションで、結局帰ったのは終電近くなってしまった。

 

「ただいま」
誰もいない部屋にも一応声をかける。一人暮らしは寂しいと思いつつも、彼氏とは職場が遠くて一緒に住むと通勤が大変になるし、ペットを飼うのも実家にいる犬をおいて浮気したような気分になって気が進まない。ため息をつきながらコタツに入ると、ポストに入っていたチラシの選別をする。
「あ、またこれ入ってるよ」
関東に展開する大手蕎麦チェーンのチラシを忌々しく見て、ゴミ箱に放り投げる。ここの蕎麦のつゆはとにかく色が濃くて甘い。小さい頃から食べ慣れた、澄んだ色で甘さ控えめの優しい味の蕎麦が食べたいのだが、どこにいってもつゆが甘ったるくて腹が立つ。そういえば井之上もここの蕎麦は嫌いだと言っていた。醤油は甘いものが好きなくせに、つゆが甘いのが許せないとはめんどくさいやつだ。同郷だから好みも同じなのかな。東京に来てからさっぱりと言っていいくらい同郷の人に会わないので、井之上以外参考にできないのが困る。
「ああそうだ、昨日録画した大河見なきゃ」
地元が舞台になっているので半ば義務的に見ている大河ドラマの最新話を呼び出す。テレビの中の訛りと方言は私にとっては簡単なものだったけれど、同僚いわく理解できなかったらしい。たしかにたまの帰省ではやたらと訛りが耳につく。東京に来るまでは何も思わなかったのに、標準語に慣れてしまえば方言が気になって仕方がない。そんなことをぼんやりと考えているうちにドラマは終わってしまい、時計も2時をさそうとしている。早くお風呂に入って寝なくては。テレビを消すと、足早にお風呂場にむかった。

 

―あー、今日も寒い。
火曜日の朝になっても何かが変わるわけでもなく、肉まんを買ってホームの列に並ぶ。今日は定刻通り、電車が遅れないので肉まんを食べる時間はなさそうだ。また井之上に半分とられるな。職場で食べようとすると毎回横から半分かっさらっていく奴のことを思い出して、明日こそは肉まんを食べる時間分くらいは早く起きようと決意する。決意して、起きれないのがいつものことなのだが。
(肉まんといえば酢醤油だよね、ほんと)
井之上の言葉を思い出して、さらにうんざりと悲しさがつのる。東京では肉まんに酢醤油をつけてくれないと気付いたのはいつだっただろう、出てきてしばらくは気が付かなかった。一度気付いてしまうと欲しくなるのが人間の性なのか、肉まんを食べる度に、酢醤油のことを思い出す。ついでに地元のことも。
―酢醤油かけるとおいしいんだよな、地元のコンビニでは当たり前についてきたから何も思わなかったけど。
おいしいパンケーキの店も家系ラーメンも東京には何でもあるのに、彼氏だっているし、週2日休めて給料もいい会社で働いているのに、ただ肉まんに酢醤油がつかないというだけのことで。そんなことで地元に帰りたくなってしまうのがおかしいとは分かっている。でも仕方がない、思い出してしまうのだから。
これからもずっと私は東京で生きていて、きっと地元には帰らない。これが私がした選択だとしても、自分自身の責任だとしても、冬のコンビニに並ぶ肉まんを見るたびまるで被害者のように呟いてしまうのだ。
「地元に帰りたいなあ」