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あたしが通う大学の図書館は地下にあって、一階から地下まで4フロアあるのだけど、下の階に行くほど静かになっていく。最下層のフロアは本当に紙のすれるような音しかしない。地下だからもっと暗くてもいいのに、ご丁寧に一階から最下層までは吹き抜け構造で明るい。図書館自体は新しくないのに、構造のおかげでおしゃれな美術館のようにすら思える。
最下層から上を見ると、一階から入ってくる光やガラスの反射、階段をのぼりおりする人の動きがとてもきれいで全然飽きないし、静けさに自分もどこか溶け込んだような気持ちになる。水中から水面を見ている時みたいだ。
そういうときは大抵センチメンタルな気分になるので、今日で後期のテストが終わったことや、とれにともなってしばらく大学には来ないという事実が浮かんでくる。
休みが来る前というのは大抵複雑な気持ちで、もちろん1日2日なら何も思わないけど、他の人だって長期休暇の前は寂しさを感じることも多いはずだ。べ、別に寂しくなんかないんだからね!と強がったところで、あたしが大学で過ごす日数は、大学に行っていないにも関わらず間違いなく減っていくわけである。正直に、寂しい。
あたしは特に大学で遊んだわけでもないけれど、だからこそ今いる場所に対する愛着みたいなのがある。ここを卒業したら失ういろんなものが既にまざまざと見える。きっと卒業したらクラスメイトとは2度と会わないだろうし、このあたりを歩くことすらあやうい。
いや会えばいいじゃん?という人もいるかもしれないが、今後みんなで会える機会は皆無だと思う。そしてみんなじゃないと出ない雰囲気があることを経験上知っている。だいたいそんな現実甘くねえよ。取捨選択の一部になった途端、思い出なんて切り捨てられてしまうものだ。よくて子供の時好きだった服を使えないから捨てようとして捨てられず、仕方ないからタンスの奥にしまいこむ気分を味わうといったところか。
世の中の人はこういう思いをどうやって解消しているのか実に気になる。まあ、センチメンタルにならなければすむのかもしれないし、ひねくれているあたしと違って他の人は思い出を大切にするのかもしれない。みんなあたしと同じように思っている可能性もあるけど、それはそれで滑稽だ。

 

ちなみに以前のキャンパスの図書館は4階建てで、上に行くほど静かになった。それで一番上の階の真ん中には中庭みたいなものがあって、空が良く見えた。静かな中で雲を眺めているのは、水中とは違った落ち着きがあった気がする。